宮城県石巻市小竹浜における東日本大震災からの復旧・復興の様子を紹介していきます。


by 鈴木勝彦

小竹浜の沿革

▼天喜4年[1056年]
陸奥六郡の領主俘囚(ふしゅう)の長安部頼時が反乱を起こしたが、源頼義、義家父子により鎮定された。
この時従っていた家臣が当浜に居住した。(23名)

▼天正18年[1590年]
葛西氏が亡びたことにより、移住者が多くなったといわれる。

▼慶長16年[1611年]
スペイン艦隊司令官セバスチャンスカイの著「金銀探検報告」11月20日
「全く風を受けず水深き良港あり、千屯以上の船も碇泊すること得べし此所コンダケ・小竹と称する一村あり」と記されており、史書上の地名の初見と推定される。



▼元禄11年[1698年]
「牡鹿郡萬御改書上」中に遠嶋小竹浜、東西五丁四拾間(618メートル)。
南北壱丁五拾七間(213メートル)と記されている。
田はなく畑一貫六五三文。海上高二貫七九三文。
人頭37人 男191人 女131人 計322人
肝入 庄三郎

穀改番所設置 三間に五間(現漁協組合)
小竹浜在家 東西四七間、南北五七間

仙台藩の正保・元禄・天保郷帳による
▽正保(1645~1648年)(小鹿郡)
小竹浜:二百七十五文 畑方
折浜:五百九十四文 畑方
佐須浜:二百三十一文 畑方
▽元禄(1688~1703年)(牡鹿郡)六十箇村
小竹浜:二石五斗二升
折浜:五石四斗五升
佐須浜:二石一斗二升
▽天保(1830~1843年)(牡鹿郡)六十箇村
小竹浜:十六石五斗四升
折浜:八石六斗七升
佐須浜:八石八斗六升
※正保時代面積:一貫文で一町、一段で百文
※元禄・天保時代産出高:一貫文で十石、百文で一石(百刈で二百文。一段で二百文)

▼正徳五年[1715年]
四郎右衛門の穀船。銚子口で大風にあい破船し26名死亡する。

▼享保16年[1731年]
渡波で大火 721戸焼失
津波発生

▼宝暦元年[1751年]
津波発生、飢きん13年までつづく。

▼安永3年[1774年]
小福丸が磐塩屋崎(福島県)沖で漂流、翌年3月福建省泉州府恵安県の小島に漂流し、同年清国船で長崎に帰還する。

▼明和9年[1772年]
封内風土記に「小竹戸口 六六」と記されている。
江戸時代中期以降、仙台藩の江戸廻米事業開始以来は穀船、商荷積の寄港地、船頭、水主等の供給地と知られるようになり、そのうえ江戸文化の一端にする機会も石巻より早いと言われた。

▼寛政5年[1793年]
若宮丸、アリューシャン列島に漂着する。16人中4人が帰国した。
当小竹出身、阿部屋吉郎次が病死したため、仲間が現地に墓石を建立したといわれている。
wikipedia「阿部吉郎次」参照

この時代の石巻より江戸に至る間の港(23ヶ所となっていた)
小竹浜-遠島
折浜-同
福貴浦-同
小淵-同
賀続浦-同
東名-現在海が浅く碇泊できない。
畳石-宮戸
鰐淵-同
寒風沢
以上10ヶ所は我が仙台藩の領内である。
但し夏は遠島、冬は宮戸、寒風沢に停泊するのが一般的であると記されている。
その他略。

▼明治元年[1868年]
戊辰の役
「岬がくずれることがあっても、小川屋がつぶれることはない」と言われた小川屋勘兵衛は、穀船を十数隻をもつ分限者であったが、戊辰戦争末期の明治元年10月初旬、榎本武陽艦隊用の米、薪、油、塩20数万点の渡波港からの輸送用に、持船のすべてを徴発される不運に見舞われ、さらに交通運輸の変革と時代の推移に対応しかねたまま没落したといわれている。

▽明治の生活
明治維新後、部落の人は沿岸漁業に従事したが、生計は楽ではなかった。二、三男は岩手県内の米穀を石巻まで川下りさせる船(ひらた)の船頭を志願して、胆沢郡(いさわ)方面などへ出稼ぎをした。

▼明治2年[1869年]
本吉、桃生、牡鹿が桃生県となる。その後、石巻県と改称する。(小竹浜戸数52戸)

▼明治3年[1870年]
石巻県を廃止し、登米県と改称
この年、大不作となる(米など)

▼明治4年[1871年]
肝入制度廃止、石巻に五大区長が任命される。
肝入り伝九郎

▼明治5年[1872年]
桃生、牡鹿、本吉、栗原、登米、遠田、志田、仙台の各県を合せ宮城県となる。
戸長、区長制度に変る。

▼明治8年[1875年]
警察出張所(石巻は第三出張所となる)

▼明治9年[1876年]
金華山灯台に点火される。

▼明治17年[1884年]
字調書
才神、走り山、小竹浜、シドアミ、平、悪浜、向山、梅木沢山、山居山、飽ハマ山ヰスナ山、州歩土山

▼明治19年[1886年]
桃浦役場となり同22年4月荻浜村大字小竹浜となる(役場は荻浜に設置)

▼明治41年[1908年]
牡鹿郡として最初に発動機を購入する。
石巻地方に電灯がついた。

▼大正元年[1912年]
小牛田-石巻間鉄道開通

▼大正2年[1913年]
石巻-渡波二頭馬車

▼大正11年[1922年]
小竹浜に電灯がついた。

▼大正15年[1926年]
石巻-女川までバス運行

▼昭和3年[1828年]
石巻-仙台間電車開通

▼昭和7年[1932年]
万石橋竣工

▼昭和8年[1933年]
三陸大津波発生(M8.3)
石巻市制実施

▼昭和14年[1939年]
小竹浜に電話が設置

▼昭和20年[1945年]
小竹浜、機銃掃射受ける。

▼昭和22年[1947年]
荻浜中学校小竹分校開校

▼昭和27年[1952年]
小竹浜大火(5月18日)63戸全焼

▼昭和36年[1961年]
小中学校独立校となる(10月1日)
・中学校 校舎落成 30年12月
・小学校 校舎落成 37年7月
小竹浜-佐須浜間道路拡張
簡易水道施設完了
チリ津波襲来

▼昭和43年[1968年]
小竹浜皇居奉仕団 奉仕活動する(30名・2回)

▼昭和50年[1975年]
十七次南極基地越冬隊員、相原誠男氏参加
※JARE17(1975~1977年)、担当:通信、当時の所属:電電公社

▼昭和52年[1977年]
折浜-小竹浜間の「協力の道」工事開始 57年完工(3.5km)
※陸上自衛隊船岡部隊の協力(主管:石巻市)

▼昭和53年[1978年]
宮城県沖地震発生(M7.4)

▼昭和56年[1981年]
小竹中学校閉校
道路舗装完成(佐須まで)

▼昭和59年[1984年]
小竹郵便局閉局
住民バス運行

▼昭和62年[1987年]
阿部国夫氏、褒章(黄綬褒章)を受ける





※小竹浜の酒屋のおじさんからいただいた資料より。
※修正、情報等ございましたら管理人までご連絡願います。

 
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by katsu_man | 2011-08-03 20:10 | ☆小竹浜の沿革と資料