宮城県石巻市小竹浜における東日本大震災からの復旧・復興の様子を紹介していきます。


by 鈴木勝彦

★小竹浜の様子:2011年3月~7月まとめ

東日本大震災の記録。
宮城県石巻市小竹浜における2011年3月11日~7月までの主な出来事をまとめました。
※「」内はリンク。



【2011年3月まとめ】
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2011年3月11日14時46分頃、宮城県牡鹿半島の東南東約130kmの三陸沖を震源に、国内観測史上最大のM9.0の地震が発生しました。
気象庁は14時49分に大津波警報を発令し、その後、石巻市小竹浜を「黒い津波」が襲いました。
海側の家屋や電信柱、漁船、漁業組合の建物、バス停、郵便ポスト、そして数々の思い出の品々が「津波により無残にも破壊」されました。
外は雪で、静かな日常は一変しました。
浜ではお一人、亡くなりました。

当時、小竹浜には52世帯に73人が暮らしていました。
地震発生後、浜の住人達は協力しあい高台の旧小竹小中学校跡地にあるコミュニティセンターと体育館に避難しました。
3月11日の夜は、非常食品保存食50人分の五目ごはん(炊込用)に熱湯を入れて、おにぎりにして皆で食べました。
高台に自宅がある人は一旦帰宅し、避難所には45人が泊まりました。

津波により浜のメイン道路は「瓦礫で塞がれ」、浜は孤立しました。
海辺にはどこからか「家が1軒そのまま流れ着いて」いました。
「海面にはものすごい量の瓦礫」が浮かんでいました。
電気・水道・電話は使用不可となりました。

震災から3日後の3月14日に、自衛隊員大和偵察隊がバイクで浜にきてくれました。
16日には自衛隊第6師団(福島県)より初めて支援物資(ごはん、水、毛布、パン)をいただきました。
17日には自衛隊の「ホバークラフト」が海からきて、医療チームの診察を受けることができました。
「8日間の記録」参照

浜の男衆は道路の瓦礫を片付け始めました。
大きな余震は断続的に発生し、不安な日々が続きました。

▽津波直前:2011/3/11
海水が引き、海底が露わになりました。この後、黒い津波が浜を襲いました。
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▽道路を塞ぐ家:211/3/16
浜のメイン道路は、津波で破壊された家屋などの瓦礫により通行不能となりました。
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【2011年4月まとめ】
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陸の瓦礫はそのままに、「海からは多くの瓦礫」が流れ着きました。
漁船の多くも津波で壊れ、浜の「かき処理場も破壊」されていました。
漁を再開する見込みは全くたっていませんでした。

避難所では「山水を汲み」「炊き出し」が行われていました。
そして各地から「支援物資」が届き始めました。
男衆はまき割りや洗い物の水を山からホースで30メートル引く作業などを行い、夜警団もしました。

浜では以前より様々な備蓄をしていました。
発電機は2台常備しており、月1回は整備しいつでも使えるようにしていました。
ガソリンも買い置きし、2年に1回は取り替えていました。
体育館にも様々な備品があり、5年保存の飲み水20リットル入りポリタンクも常に10缶保存していました。
また、AEDの使い方も毎年受講していました。
テレビ番組では「奇跡の避難所」として紹介されました。

携帯電話が4月6日頃に復旧し、海側には新しい「電信柱」が立ち始めました。
そして、震災から34日目の4月13日夜、やっと電気が復旧しました。
水道はまだ復旧していませんでしたが、給水車がきてくれるようになりました。
4月29日には「瓦礫撤去が開始」されました。

少しずつですが、浜が復旧へ向けて動き出しました。

▽井戸と瓦礫:2011/4/7
ここには家が、生活がありました。
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▽瓦礫(動画):2011/4/9
慣れ親しんだ浜の風景は一変しました。




【2011年5月まとめ】
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瓦礫の中から「思い出の品々を探す」日々は続いていました。
地震で地盤が緩んだためか、5月30日の大雨の後、佐須浜から小竹浜への「道路の一部で崖崩れ」がありました。
木が道路を塞いでしまったため、浜の男衆が協力して撤去しました。

東日本大震災の影響により、牡鹿半島の陸地は東へ5.3m動き、1.2m沈降しました。
地盤沈下のため、「満潮時には桟橋や岸壁が水没」しました。

高台にある避難所の近くには週に2回ほど自衛隊が「お風呂を設置」してくれました。
5月16日からはテレビ(アナログ放送)を観ることができるようになりました。
そしてついに、震災から76日目の5月25日に水道が復旧しました。
また、固定電話が5月29日(一部は6月2日)に復旧しました。
「道路上の瓦礫は少しずつ片付き」ましたが、津波被害により住めなくなった家屋のほとんどはまだそのまま残っていました。

避難所にはたくさんの方々からの「メッセージ」が届き、浜の住人達を励ましてくれました。

▽避難所へ貼られた少女からの飴:2011/5/1
たくさんの方々からの温かいメッセージに深く感謝します。
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▽地盤沈下の影響:2011/5/22
満潮時、桟橋と岸壁(右側)は海面下になります。
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【2011年6月まとめ】
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津波によって家を失った方達は、避難所で生活するか、他の地域へ引越しました。
過疎化が進んでいた小竹浜の人口はさらに減少しました。
「小竹浜の人口の推移」

メイン道路の陥没箇所に敷いていた「畳が撤去」され、砂利が敷かれました。
浜の漁師達は雨と風の日以外の月曜日から金曜日まで、「海に流れ着いた瓦礫を撤去」していました。

気温は暖かくなり、異臭がしてきた瓦礫は定期的に「消毒」されました。
瓦礫の上を痩せた「ノラネコ」が歩いていました。
※ネコの名前は「クロ」。後日、仮設住宅で飼われることになります。

震災から83日目の6月1日から新聞配達が再開されました。
避難所がある旧小竹小中学校跡地の校庭では、6月19日から「仮設住宅の建築」が始まり、6月23日には「外壁が完成」しました。

「小竹浜音頭」に歌われていた浜の景色に戻るには、まだまだ長い年月がかかりそうでした。

▽瓦礫撤去作業:2011/6/21
海からはまだ瓦礫が流れ着いていました。
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▽更地に育つ草花:2011/6/15
小竹浜に住む従姉「草花はスゴイね~。津波で塩水を被っても成長してる。」
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【2011年7月まとめ】
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4ヶ月以上が経ちました。
「道路上の瓦礫」はほぼなくなりましたが、津波被害により「住めなくなった家屋」のほとんどはまだ解体されぬまま残っていました。
桟橋から海底を覗くと、トタン等の瓦礫が沈んでいるのが分かりました。
浜の男衆は、波打ち際に「流れ着いた瓦礫」を片付ける作業をしていました。

小竹浜の海においても、定期的に「ご遺体の捜索」は続いていました。
7月15日、重機による湾内の「海底瓦礫撤去」がありました。

季節は夏になり、石巻市でも35℃近くまで気温が上がる日がありました。
腐敗した瓦礫からは蝿が大量発生していました。
「クーラーのない避難所」に暮らす方達は大変な思いをしていたことと思います。
また、避難所にはお風呂もありません。
震災後、5月25日に水道が復旧し、自衛隊によるシャワー支援は6月2日に終わりました。
そのため、避難所に住む方達は「ドラム缶に火をくべて湯を沸かし」、支援でいたたいだ風呂桶に湯を入れてお風呂に入っていました。

そして7月10日、ついに「仮設住宅の建物が完成」しました。
震災後、小竹浜に新しい建物ができました。

▽仮設住宅完成:2011/7/16
電化製品の搬入等後(8/11以降)に入居できることになりました。
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▽津波の爪痕(動画):2011/7/18
被害が大きかった場所は、あの日から時間が止まったままのようでした。






2011年8月〜12月のまとめはこちら

 
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by katsu_man | 2013-07-30 12:00 | ■震災の記録